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2012年02月25日

3月間近の大雪は、最後の冬儀式?

昨日、お隣の浦河町さんで行われた、古文書講座に参加してきました。これは、浦河町郷土資料館が地域学講座として行っているもので、明治維新ごろの古文書を実際に読んでみて当時の浦河の様子をのぞいてみようというわけです。

浦河古文書講座.jpg

講師は、北海道立文書館の永野正宏さんで、題材は同館に保存されている明治維新当時の浦河のことを記した書類。シャマニ(様似)のこともけっこう出てきたんですよ。

浦河古文書講座資料.jpg

永野先生が古文書を解読するのを、ワタクシたちは一生懸命書き写すのですが、なかなか言われた漢字がパッと頭に出てこなくて大変でした。こんなに集中して勉強したのは何年(何十年)ぶりかしら。

でも、読めない字が読めるとけっこう気持ちいいんですよネ。「英語話せれたらいいだろうな~」という感覚と同じで、「読めたら楽しいだろうな~」という気持ちになりました。1日ぐらいの勉強じゃぜんぜん足りませんが…。

そんなお勉強の翌日は、ガラッと変わって雪中行軍…?

12野球少年団ソリチューブ.jpg

イエイエ、3月も目前ですが、一昨日、大雪となった様似で子どもたちを連れてソリ(チューブすべり)というわけです。

12野球少年団ソリ雄大.jpg

大雪がかえってすべりづらくなっていましたが、子どもたちは冷たさをものともせず、転がっていました。ワタクシたち引率の大人は震え上がっていましたケド…。

12野球少年団ソリ全員.jpg

パブリックページと自負していますが、ちょっとだけプライベートを言わせてもらえば楽しみながら少人数でがんばっているY・S・少年団は新監督のもと、現在団員募集中です!(タク)

2012年02月23日

蝦夷三官寺が建立された背景は...ふるさとジオ塾⑩

2か月ぶりの開催となったアポイ岳ジオパーク連続講座「ふるさとジオ塾」の座学が、昨夜行われました。

12ジオ塾⑩講演様子.jpg

今回は歴史講座。以前にもご講演いただいた、北海道大学大学院の谷本晃久准教授をお招きして、蝦夷三官寺がなぜ設置されたのか、そしてなぜ様似にそのうちの一つ、等澍院が建立されたのかを地政学的見地から勉強してみようという講座なのです。

12ジオ塾⑩谷本先生.jpg

シベリアからカムチャツカ半島を経て、千島列島を南下してきたロシアにより、初めて北方に「異国」を意識した江戸幕府が、宗教政策としてつくった蝦夷三官寺。太平洋岸に位置し、良港をもっていた様似がその政策の舞台となったわけです。

日本の鎖国の実態や、ロシア、中国の情勢など、広い視野から考える谷本先生のお話しに、来場者は興味深く聞き入っていました。

ところで、夜の講演を終えて翌日の今日。お帰りになる先生を等澍院にご案内してきました。

百万遍念誦箱.jpg

その際、本堂で、住職にいろいろと宝蔵品を見せていただいたので、みなさんにも少しご紹介します。これは、国の重要文化財に指定されている「百万遍念珠箱」。

等-院真鍮鐘.jpg

そしてこれは、念珠箱で念仏をとなえるときに鳴らす真鍮の鐘だそうです。ひっくり返してみると、1830年代に越前の人が寄進したことが刻まれています。

等-院真鍮鐘の年号.jpg

また、年代は不明なものの、同じ真鍮の仏具なども見せていただきました。

等-院真鍮仏具.jpg

そして、昨年移築された、様似町文化財第1号の護摩堂。新しくなったものの、建立当時の面影を残す唯一の建造物です。

護摩堂.jpg

等澍院は水害や熊害、明治維新後の廃寺などにより4回(5回というべきか)の移転を経ており、建立当時の建物は残されていません。しかし、仏像なども含めて様似や蝦夷地の歴史を語る資料がたくさん残る、様似にとって貴重な文化遺産なのです。

谷本先生、ありがとうございました。また、様似にお越しいただき楽しいお話しをお聞かせください。(タク)

2012年02月21日

全国のジオ担当者が相互研鑽(秩父会議②)

前日ブログよりの続き…。

秩父会議最終日は、「宮沢賢治 青春の旅」と題されたジオツアー。大正5年、盛岡高等農林学校2年だった宮沢賢治は、地質調査でこの秩父を訪れいくつもの詩を残しています。その賢治とジオを結びつけるという、なかなか心くすぐるテーマなのです。

まず案内されたのが、小鹿野観光交流館。

秩父:小鹿野観光交流館.jpg

賢治が地質調査の際、滞在した旧寿旅館を改装したもので、賢治の詩や足跡、郷土芸能・小鹿野歌舞伎などが紹介されています。 

秩父:宮沢賢治パネル.jpg

そして、ジオサイトの一つ、「ようばけ(太陽の当たる崖)」には賢治が残した詩が石碑となって残されています。

秩父:ようばけ賢治石碑.jpg

「ようばけ」は、石碑後方の崖。新第三系の秩父町層が露出する巨大な崖で、多くの動物化石が見つかっているなど、賢治の時代から地質調査の巡検ポイントとして知られていました。石碑は、賢治とその友人・保坂嘉内の詩が刻まれていて、賢治のものは、夕刻の「ようばけ」観察後の帰宿の途中に詠んだものだそうです。

「さはやかに 半月かかる薄明の 秩父の峡のかへり道かな」

秩父:紅簾石片岩看板を見る.jpg

その他、いくつかのジオサイトを見学し、最後は川下りで有名な長瀞(ながとろ)にある天然記念物ジオサイトへ。

秩父:紅簾石片岩看板.jpg

ジオサイトの解説は写真でご確認ください。さすがになかなかの露頭なんです。

秩父:紅簾石片岩.jpg

荒川河岸にある巨大片岩の露頭を上っていくと、そこには…。

秩父:ポットホール.jpg

巨大なポットホール(甌穴)が…。ポットホールとは、くぼみなどに残された転石が川の流れで回転することで、徐々に周辺に穴ができる現象で、幌満峡でもここまで典型的なものではないものの見ることができます。

穴の壁面には片岩の縞模様がくっきりを現れ、石屋の面々も興味津々でしたヨ。

秩父:ポットホール小.jpg

その隣には、こんな小さな赤ちゃんポットホールもありました。

今回の研修会で話題となったのは、「ジオと暮らしとのつながり」。秩父も谷が深く利水が難しかったために米ができず、その代わりに発展した養蚕によって、秩父銘仙という文化が花開き、その銘仙をアピールするための祭りが今多くの観光客を呼び寄せています。また、相場に影響される養蚕は、明治時代に秩父事件と呼ばれる農民蜂起も引き起こしました。

ジオパークは石を見るだけでなく、それに影響を受けて生まれた私たちの歴史と生活そのものを学び楽しむもの。さて、わがアポイ岳(様似町)にはどんな物語があるか、みなさんはもうご存知ですよね?(タク)

2012年02月20日

全国のジオ担当者が相互研鑽(秩父会議①)

先週、埼玉県秩父まるごとジオパークで行われた「JGN全国研修会」に参加してきました。

秩父まるごとジオパークは、埼玉県秩父市を中心とする秩父盆地全体をエリアとした日本ジオパークで、東京に近く古くから先駆的な地質学研究が行われた場所として知られています。

荒川の上流域に位置し、東京からは西武鉄道で1時間余り。まちを取り囲む山々の中で、ひときわそびえる武甲山は山全体が石灰岩でできていて、セメント供給で日本の高度経済成長を支えたそうです。

そんな秩父におじゃまして、まず研修会前日に行われた市民向けのジオパーク講演会に参加しました。

秩父:講演会.jpg

そして、翌日からは担当者同士による研修会。ジオツーリズムをどう地域活性化にむすびつけていくかについて、活発な議論が行われました。

秩父:ワークショップ.jpg

ガイドのこと、見せ方のことなど、それぞれ抱えている悩みは似たようなもの。ネットワークだからこそ、そんな課題も共有できるのです。

ところで、そんな集中討議のお昼に出されたお弁当は、こんなすてきなパッケージ。

秩父:弁当箱.jpg

箱には、「おらがほうじゃこうだよ」とかかれていますが、この地方の方言で、「ウチではこんな感じだよ」という意味。ウチの弁当はこんなにおいしいんだよと言っているでしょうか。

秩父:弁当中身.jpg

中はお重になっていて、一口つけた後の写真となってしまったのですが、一の重は鮎の甘露煮やわらじかつ、そば寿司、イチゴなど、どれも秩父特産のものばかり。二の重はこれも特産のきのこが入ったまぜご飯。どれもたいへんおいしくいただきました。

秩父:交流会.jpg

そして、研修会終了後は、秩父ジオパークで活躍されている市民の皆さんとの交流会。でも、交わす会話はやっぱりジオ。ジオパークをどうやって生かしていくかに話題は尽きず、外で雪がちらつくなか議論は深夜まで続くのでした。

翌日はジオサイト巡検。その模様は明日のブログで…。(タク)

2012年02月19日

まだまだ雪が残っていますが...

底冷えの埼玉県秩父でのジオパーク研修会から昨夜帰町し、日曜の今日。数日振りの様似は見慣れた晴天。

まだまだ、風は冷たいものの、もしや…と、家の裏の日当たりのよい斜面に行ってみると…。

12.2.19福寿草つぼみ.jpg

やっぱり、福寿草のつぼみがもう開く寸前。

12.2.19福寿草.jpg

いやいや、そのすぐ隣では気の早いヤツがすでに顔を出しています。

原田家へさきからの本町.jpg

これからは三寒四温で、いよいよオンシーズン間近です。

さて、冒頭の秩父ジオパークでの研修会。その模様は明日以降のブログでご紹介します。(タク)

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