角閃岩の褶曲

この大きな岩場では、やや赤紫色を帯びた褐色の岩石(片麻岩)が緑灰色の岩石(角閃岩)を包み込んでいる様子が見て取れます。こうした地層の産状を「褶曲」といいます。山をもつくってしまう地球の巨大な力は、硬い岩もアメのように曲げてしまうのです。

ところで、後ろを振り返ってみてください。目の前にある高さ約100mの断崖絶壁が、「日高耶馬渓」と称している風景です。こうした地形は、波の浸食によってつくられたもので、「海食崖」といいます。崖の上部をよく見ると地層の境目があり、その上には礫などの段丘堆積物を確認できます。つまり、この崖の上もはるか昔(数十万年前)には波打ち際で、大地の隆起や海水準の変動によって今の高さになったと考えられます。

日高山脈が太平洋に接し、北海道を東西に分けるこの交通の難所を克服するため、1799(寛政11)年、江戸幕府はこの崖上に「様似山道」を開削します。これはえりも町の「猿留山道」とともに、東蝦夷地における最初の官営道路と言われています。