この祠の中には、ここの分限者で様似山道の開削にも尽力した「斉藤和助」という人物の地蔵が祀られています。
1799(寛政11)年、江戸幕府は北方警備の増強を目的に、海岸交通の難所・日高耶馬渓(様似町冬島~幌満間)のう回路としてその崖上に「様似山道」を開削しますが、それに地元民として尽力したのが和助です。和助の死後、その人望と功績をしのび彼の地蔵が建立され、今なお大切にまつられています。なお、和助の孫の一人が明治時代の名騎手であり、「日本馬術・競馬の父」と称される函館大経です。
様似山道は、この祠の川向こうの沢が東口です。今は、様似の歴史遺産として保存され、また、延長約7㎞・行程約4時間のフットパスコースとして復活しています。
フットパスを楽しまれるのでしたら、ぜひ山道開削にかかわった和助さんに、通行の安全をお祈りしてから出発されることをお勧めします。きっと御利益があるはずですよ。