この穴は、人工のものではありません。現在は冬島漁港の中にありますが、埋め立てられる前は高さ9mもの大穴で、アイヌ語の「プヨ(穴)シュマ(岩)」がここの地名の由来にもなっています。
この穴は、波の侵食によって開けられた「海食洞」で、岩自体は「ホルンフェルス」という変成岩の一種です。砂岩や泥岩などの堆積岩がマグマに触れて火傷したように熱で変成してしまったものです。
難所の関門ともいえる印象的なこの岩のことは、松浦武四郎など江戸時代にここを通った多くの旅人が記録しています。
また、この周辺では、何段かの海岸段丘が確認されています。海岸段丘とは、かつて波打ち際で浸食された面が、地面の隆起や海水面の低下によって陸地化した段々の平ら地のことです。穴岩から東方を望むと、道路脇に標高40mほどの段丘が見えますが、こうした平ら地は、特産の日高昆布の干場としても活用されています。