2.アイヌの人々の苦難と民族復権

サブテーマC:
歴史から自然と人間社会の共生を学び楽しむ

 北海道の先住民族・アイヌの文化は、本州文化の強い影響を受けた擦文文化(7~12世紀)や海洋性文化のオホーツク文化(5~9世紀)にその源流があるといわれています。しかし、アイヌ文化(13~18世紀)の成立期は、土器・石器が鉄器に、住居が竪穴式から掘立に変化する過渡期にあたるため遺物・遺跡がとても少なく、その過程はまだよく分かっていません。その中で、チャシ(砦)跡はアイヌの人々の生活を解明する貴重な手がかりの一つです。北海道には500 以上のチャシ跡が確認されていますが、様似町(アポイ岳ジオパーク)においてもエンルム岬の山上にチャシがあったことが確認されているほか、観音山の山上にも同様にチャシがあったといわれています。

山上にチャシ跡があったとされるエンルム岬(右)と観音山(左)

 アイヌの人々は、狩猟・漁労・採集を生業としながら、津軽海峡を越えて本州へ、あるいは宗谷海峡を越えてサハリン方面へ出向く「交易の民」でもありました。しかし、時代が下るにつれて北海道に和人が進出してくると、徐々にその自由な交易の主導権を奪われていきました。18世紀になると、松前藩が敷いた和人に有利な交易体制(場所請負制)によって、それまで生産者・交易者であったアイヌの人々は使役される側に追いやられます。そして、アイヌの人々とその文化は、その後も和人による差別・同化という苦難の道を歩むことになります。

 20世紀に入り、民族の復権を目指す機運が高まり、独自の言語や伝統的な儀式・文化の伝承活動が盛んに行われるようになります。アイヌ語講座の開催やアイヌ文様をあしらった木彫りや刺しゅうの製作、伝統舞踊の保存などです。1984(昭和59)年には、17の保存会が伝承する伝統舞踊が、「北海道アイヌ古式舞踊」として国の重要無形文化財に指定され、1997(平成9)年には、「アイヌ文化振興法」も制定。様似町においても、伝統舞踊の継承やチセ(住居)の復元など、先住民族の文化を伝える活動が続けられています。

重要無形文化財(国指)の様似民族保存会による古式舞踊と、復元されたチセ(住居)